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札幌の瑞龍寺は座禅と参禅ができる臨済宗妙心寺派の禅寺です

境内の四季CONCEPT

 春の境内(4月下旬〜5月中旬)
梅園の梅と本堂脇の桜が同時に咲きました。瑞龍寺創建前この地円山は果樹園や農地で、人家は少なかったそうです。瑞龍寺の毎日は「札幌市 西二十丁目界隈 樹齢百年 (永井 道 著)」に窺えます。


















臥龍梅(紅梅)


臥龍梅(紅梅)説明書き


梅 園
盤龍老師開山忌(5月18日)には梅祭りが開かれます           


本堂より山門(5月)


本堂より梅園(5月)

陰寮前の老松(祖臨老師室号-寒松-名付けの松)

瑞龍寺暦日

 昭和10年頃の瑞龍寺と禅士

本堂(夏)

本堂(冬)

法要記念写真

梵鐘(宜脩禅士)

左より佐々木承周、新谷宜脩、中川玄昭、仲島正海禅士と本堂玄関

本堂裏手(現在も変わりません)

典座寮(台所)にて

 「樹齢百年」に記された「堯好」こと石郷岡£禅士について


昭和10年以前に瑞龍寺で撮られた写真

石郷岡£禅士が土浦海軍航空隊より瑞願僧堂の中川玄昭禅士へ宛てたはがき
 昭和10年以前に瑞龍寺境内で摂られたと思われる写真に、「樹齢百年」に「堯好」と慕われ描かれた石郷岡£(右)、中川玄昭(後)、手前は当時の著者道様とほぼ同齢で「小僧」と書かれた新谷宜脩の三名の禅士が写っています。
 £禅士は大変な秀才で、瑞龍寺より札幌二中に通っていました。昭和10年承天老師が松島瑞巌寺住職に就任され、この三禅士も瑞岸僧堂へ転錫しました。£禅士は瑞厳僧堂より仙台二高(旧制)に通学し、卒業後京都大学印度哲学科へ進学されましたが、在学中学徒動員により海軍航空隊予備学生として招集をうけ、終戦間際の沖縄戦で特別攻撃隊員として戦死されました。
(£禅士の遷化を存じない著者が道号を憚り、文中では木登りが上手なためか「堯好」(堯は高ところの意)と名付けていますが、特攻機で沖縄の空に散り霊雲となられ、瑞龍寺本堂に「霊雲£上座」と祀られていることにある因縁を感じます。)
 £禅士に期待しておられた承天老師の心中は察するに余りあります。玄昭師は敬慕する兄弟子の遷化を悼み、昭和27年頃には仙台の一華庵に位牌を祀り、日々供養されておりました。瑞龍寺住職となられた後も陰寮の仏壇で日々供養されており、常々「惜しい逸材を失った」と追慕されておられました。(寒松遺話集 話録編 に記載)


冬の境内の承天老師

札幌2中制服の£禅士

瑞巌寺僧堂時代の£禅士 右は玄昭禅士

 花園会館建設前の瑞龍寺境内(空撮)


昭和54〜58年頃の瑞龍寺
瑞雲軒移築完成(昭和53年)後で花園会館建築(昭和60年〜61年)以前に空撮した写真と思われます

日々是好日.伝道句
大圓山
瑞龍寺 伝道句
[日々是好日]のページへ]

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