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札幌の瑞龍寺は本格的な坐禅堂で坐禅(座禅)参禅ができる臨済宗妙心寺派の禅寺です。どなたでも葬儀、法要、会議等が可能な花園会館をご利用いただけます。

瑞龍寺・北海禅道会縁起COMPANY

 瑞龍寺は臨済禅に拠り己中の仏を求める八名の居士と、その師聖僧松原盤龍老師の篤志により御身を削り、人を活かすための「大衆道場」として建立されました。多くの寺が菩提を弔うために建立されましたが、当寺は己中の仏を求め今を生きる「居士の志を活かす」ために建立された極めて稀有な師家分上(住職は修行者の境涯を点検できる師僧で、老師と尊称)の寺です。
 明治末、廃仏毀釈の法難の余震が未だ鎮まらぬ北海の地で、徒手空拳の居士とその師家が修行寺を建立するには、筆舌に尽くせない幾多の困難がありました。
 修行道場故、師家(専任住職)不在の間は、寺命を護持することが困難な時期が幾度もありました。しかし、北海禅道会の居士大姉は、盤龍老師と8名の居士の志を胸中に、参禅が叶う日まで厳冬期大雪の日も毎朝師家不在の禅堂でひたすら坐り続け、開祖の志とこの寺に眠る幾多の菩提を守り続けました。また壇信徒の方々も、無住寺の護寺へ渾身の努力を重ね続けてきました。
 今日の瑞龍寺と北海禅道会があるのは、北斗の地に臨済禅を掲げた盤龍老師、その法灯を継いだ承天老師、禅道会再開の礎隆芳老師祖臨老師、先師の志を育み続け鬼籍に入られた幾多の居士大姉と、度重なる住職不在の師家寺を護持されてこられた仏心篤き壇信徒方々のおかげであります。

 当ページは「志の寺 瑞龍寺・北海道場百年史話」(松本篤二氏著)を底本にしております。詳しくは本書をご参照ください。盤龍老師の徳行は「聖僧 盤龍老師逸話集」(瑞龍寺版)に、偈頌等は「江月松風藁 上・下巻」(瑞巌寺版)に収められております。承天老師の偈頌は「白雲録」(瑞巌寺版)、祖臨老師の偈頌は「寒松録」(瑞龍寺版)に収められております。

@瑞龍寺開基  A坐禅堂建立と開山  B第二世常住住職三浦承天老師の就任  C寺号公称と創建  D本堂建立  E常住師家不在と禅会休会   F加藤隆芳老師兼務住職就任と坐禅会再開  G瑞雲軒(坐禅堂)の開単  H中川祖臨老師の着任と参禅の再開  I花園会館・納骨堂の建立  J再度の常住住職不在と居士の志  K中條仁一老師就任と境内整備  L皆川彰久老師就任と禅道会の復活、坐禅堂、普賢堂の建立

@瑞龍寺開基
明治41年(1908年)

    
 明治41年、札幌在住の8名の居士が臨済禅を極めようと願い、鎌倉 円覚寺釈宗演老師に札幌の地で坐禅会の開催を願い出ました。宗演老師は聖僧と名高い松島瑞巌寺住職である松原盤龍老師を禅会の師家に推奨され、盤龍老師は居士の志を受け、札幌の居士宅で北海道で初めての坐禅会が行われました。この年をもって瑞龍寺開基の年とします。
A坐禅堂建立と開山
大正4年(1915年)

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 坐禅会を個人宅や北海道拓殖銀行旧倶楽部で続けるなか、会員に「道場としての寺」を建立したいとの願いが高まり、大正4年、会員と盤龍老師が浄財を出し合い現在地に土地を購入し、翌年質素な庫裏兼坐禅堂を建立しました。その後公立札幌女子尋常高等小学校作法室の払い下げを受け、坐禅堂にしました。この建物は今も参禅の場として活かされています。
 盤龍老師は開山となることを固辞され、遷化されて久しい老師の師である相國独園禅師を勤請開山とされました。師のお人柄が窺えます。盤龍老師の徳を慕い師が住職をされた岐阜羽島江月寺の檀徒の方が十一面観音をご本尊として寄進されました。今は花園会館納骨堂のご本尊として各霊位を見守られておられます。
B第二世住職三浦承天老師の就任
大正7年(1918年)

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 盤龍老師は、師が印可されたお弟子、三浦承天老師を瑞龍寺第二世住職に任じました。承天老師は瑞龍寺初の常住住職です。師の下では居士と5名の禅士が修行に励みました。老師は托鉢で賄いきれない禅士の食を得るため、市場などで日雇人夫などの力仕事までされ、禅士の修行傾注の日々を支えました。
 老師は瑞龍寺を拠点に旭川、小樽や道内各地で坐禅会や、NHK札幌放送局より全道へ碧巌録提唱の放送をなさるなど、道内に臨済禅を広める努力を重ねられました。当寺の禅会名簿には北海道長官、札幌市長、北海道拓殖銀行頭取、北海タイムズ社主、札幌連隊区司令官、札幌地方裁判所長など、当時北海道を代表する著名人諸氏が名を連ねていました。
C寺号公称と創建
大正9年(1920年)
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 本堂を除く堂宇は完成しましたが、未だ行政機関より寺院とは認められておりません。庫裡、禅堂完成3年後の大正8(1919)年、北海道長官へ寺院創立願を提出し、翌9年(1920年)3月「大圓山 瑞龍寺」の山号・寺号の認可を受けました。これをもって本山妙心寺は同年4月2日に瑞龍寺を妙心寺派寺院として本山の法系台帳に登記されました。この年が瑞龍寺創建(寺号公称)の年となります。
D本堂建立
大正12年(1923年)
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 北海道長官へ寺院創立願を提出する際、寺院としての認可条件である本堂は、認可後2年以内(大正11年迄)に完成すると約束をしていました。そこで本堂建築資金を広く募りましたが、これまでに募った金額では、多額の建立費を要する本堂を完成するにはきわめて不十分でした。そこで盤龍老師と建設計画の中枢を担われていた居士数名の方が、総工費の6割にもあたる多額の寄付をされ、大正12年秋にようやく完成を見、ここに寺容が整いました。この間の苦労は乾いた手ぬぐいを絞るがごとく筆舌に尽くし難いものがあったと伝えられています。
E常住師家不在と禅会休会時代
昭和10年(1935年)
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昭和33年(1958年)
 昭和10年(1935年)盤龍老師が遷化され、承天老師は師の後を継ぎ瑞巌寺住職に就かれ、瑞龍寺常住の師家は不在となりました。しかし、禅会は老師が松島より通われ、昭和24年(1949年)妙心寺派管長に就任される迄続けられました。老師は昭和27年(1952年)管長を辞され瑞巌寺に戻られ禅会は再開されましたが、年々進む脚疾のため瑞龍寺に来られる回数は減りました。昭和33(1958)年に承天老師は遷化され、明治41年に開単、水月50年の北海禅道会はこの年より休会状態となりました。
F加藤隆芳老師兼務住職就任と坐禅会再開
昭和50年(1975年)
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 昭和50年、松島瑞巌寺第128世住職加藤隆芳老師が兼務住職として就任され、ここに17年間休会状態であった北海禅道会は再開の機を得ました。しかし、長い休会期間に承天老師に就かれた多くの居士は鬼籍に入られ、あるいは札幌の地を離れたりしていました。そのため北海禅道会再開の発起人として新たに8名の篤志者が北海禅道会復活を隆芳老師に願い出ました。隆芳老師は直ちにお引き受けされ、昭和51年(1976年)年北海禅道会が再開されました。老師は毎月瑞龍寺へ通われ、坐禅会で巡警や提唱はなされましたが、参禅は受けられませんでした。それは隆芳老師が近い将来瑞龍寺の常住住職・師家をお決めになることを想定してのことと拝察されます。
G瑞雲軒(坐禅堂)の開単
昭和54年(1979年)
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 瑞龍寺建立発起人の中心におられた松本家より、大正7年市内に建築した200u(60坪)を超えるご自宅の寄進を受け 瑞龍寺に移築しました。これを加藤隆芳老師は「瑞雲軒」と命名しました。瑞雲軒は坐禅堂として平成21年(2009年)に専用の坐禅堂が建立されるまでの30年間、選仏堂の役を担ってきました。瑞雲軒には加藤老師より、松島瑞巌寺僧堂の禅堂に祀られていた文殊菩薩が贈られ、今も禅堂のご本尊として求道者を見守られております。
H第三世住職中川祖臨老師の就任と参禅の再開
昭和55年(1980年)
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 5年間専任住職が不在であった瑞龍寺に、昭和55年中川祖臨老師が専任住職として入寺されました。師は昭和9年(1934年)この瑞龍寺で得度され、承天老師の下で昭和17年まで瑞龍寺と瑞厳僧堂で修行の後、宮城刑務所で専任の教誨師をされていました。昭和34年加藤隆芳老師が瑞巌寺住職に就かれたのを機に、自宅一華庵に隆芳老師を拝請して月例の仙台禅道会を設立し、居士と共に老師に参禅を重ねました。さらに退勤後連日瑞巌寺へ通参し、昭和49年隆芳老師より印可を受けた方です。
 祖臨老師は住職就任後直ちに、毎朝、毎夕一人でも独参を望む居士がいれば参禅を受けられ、禅文化研究所の取材者にして「365
喚鉦の鳴らない日は無い寺」と言わしめました。その日々は、英山居士が記した[寒松遺話集・話録編]に窺えます。
I花園会館・納骨堂の建立
昭和61年(1986年)
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 札幌旧市内では墓地建設が認められておらず、本堂で多くのご遺骨が骨箱のまま安置されていました。これを納骨堂で永代にわたり手厚く供養するために、花園会館が建立されました。これを機に、壇信徒や寺外者が、大規模な葬儀や法事、会合が可能な大ホールと、中小の葬儀や法事に適した和室、茶事や諸行事で使用される大書院、裏千家茶室又隠を模した江月庵が併設されました。
J再度の常住住職不在と居士の志
平成5年(1993年)
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平成10年(1998年)
 平成5年祖臨老師が遷化され、後任住職の中條仁一老師が平成10年に入寺されるまで5年間、再び常住住職不在の寺となりました。この関、松島瑞巌寺平野宗浄老師が兼務住職として瑞龍寺を守られましたが、北海禅道会は休会状態となりました。しかし、後任住職が入山されるまでの5年間間、師家不在の禅堂で毎朝、実堂鉄心居士をはじめ多数の居士が坐禅を続けました。今に続く北海禅道会居士の「志」が窺えます。
K中條仁一老師就任と境内整備
平成11年(1999年)
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平成18年(2006年)
 平野宗浄老師の法嗣である中條仁一老師が第四世住職として入寺されました。ここに5年間師家不在の禅道会が再開されました。しかし、中條老師は都合により1年少々で退寺され、平野老師が再度兼務住職となり、またしても北海禅道会は師家不在となりました。この逆境のなか、禅道会の居士は誰一人退会することなく、以前の師家不在の時と同じく、新たな師家が入寺されるまで8年間連日禅堂で只管打坐の日を続けました。
 この間、壇信徒の護寺会(花園会)は高齢者の参拝の便をはかるために花園会館をバリアフリーへの改修や、松島瑞巌寺より宮城県指定天然記念物臥龍梅の紅梅苗木を譲り受け、壇信徒寄進による紅梅白梅47本と共に植栽し、皆が集い故人を偲ぶ梅園が完成しました。毎年5月には梅祭りが開催されます。さらに「瑞龍寺花園会」の結成と会報の発行、「聖僧 盤龍老師逸話集 瑞龍寺版」の発刊など多くの事業を敢行しました。
L皆川老師の就任と禅道会の再開、坐禅堂、普賢堂の建立
平成19年(2007年)
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 平成14年(2002年)兼任住職平野老師が遷化され、師の法嗣である吉田道彦老師が瑞巌寺住職に就任され、併せて瑞龍寺兼務住職をされることとなりました。北海禅道会は休会のままとなり、皆川老師着任までの4年間、さらに会員の只管打坐の日が続きました。
 平成19年、専任住職として平野老師の法嗣である皆川彰久老師が宮城県本吉町浄勝寺より入山され、北海禅道会では再び毎朝の参禅が叶うこととなりました。爾来今日まで寺務の都合による休参日以外は「喚鉦の鳴らない日はない」日々が続いています。
 彰久老師は北海禅道会設立の礎、盤龍老師とその居士の徳に報いるべく、平成21年(2009年)に「単」を備えた坐禅堂「北海道場」を、平成27年(2015年)には開山礼拝堂「普賢堂」を建立されました。普賢堂には普賢菩薩が祀られております。

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